一生を終えて、残るもの

一生を終えた後、残るものはなんだと思いますか?

それは、「与えたもの」だそうです。

これは、仏の教えです。

人が一生を終えた時に残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものです

という言葉に出会った時、ハッとしました。

なぜなら、自分が人に与えられている?と不安になったからです。与えられていることも、確かにあるけれど、与えている割合より、集めている割合が多いと感じました。

私自身、今いろんな学びをしていく中で、学びという智慧を集め、それを人に与えることができているかな?と思いました。

学びをする理由は、自分の人生をもっとよくしていきたい、自分自身が成長していきたいからです。なので、まずは、学びを実践して自分が良く変化していくことは大切です。

さらに大事なのは、その先です。

自分が学んで、実践してよかったことを、人に届けることが今私にできる「与えること」だと感じました。

実際に、鑑定を届けたり、教えをクライアントさんにお届けさせてもらっているのですが、もっとできるのでは?と感じました。

このブログも、その1つです。

私が学んでよかったことを、一人でも多くの人に届けるために。このブログがあります(こうして発信ができるというのも、本当にありがたい時代です)。

実は今、義母が抗がん剤治療中なのですが、その副作用で脱毛が始まりました。週末会いに行っていたのですが、医療用の帽子をかぶっていました。他にも副作用があり、体調は決して万全ではない中で、

孫にたくさんのお菓子を準備してくれていたり、おもちゃで一緒に遊んでくれたり、いろんな話をしたり、息切れで階段を登るのもやっとの中、1階の玄関まで見送りに来てくれたり…

治療中の義母からたくさん与えてもらっているものがあると気づきました。

ありがたいことに、私は今健康な体があって、元気に動ける今、人に与えられているかな?もっと与えられることがあるんじゃないか?と思いました。

義母の生きる姿から、大事なことに気づかせてもらいました。

そして、今日のタイトルとも繋がり、一生を終える時に、私も残したいものがある。と感じました。

自分がこの世に命を受けて、いろんな経験をして、いろんな感情を味わい、たくさんの学びを通して、人に伝えられることがたくさんあると気づきました。

それは、私が、辛い時に、助けてくれた人や、救ってくれた教えのように、私も誰かの人生を明るく照らすことができるし、それが私の生まれてきた使命だと感じたのです。

今、愛する家族に恵まれ、物心両面で非常に豊かな人生を歩むことができているのは、間違いなく、縁できた人、そして出会えた教えのおかげです。

人生のどん底も経験してきた私が、ここまで豊かな人生を送ることができているのだから、誰でも人生を豊かにしていくことは可能です。

だからこそ、私も、発信を通してたくさんの人の人生に、光を届けられるよう楽しく頑張っていきたいと思っております。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。感謝。

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